竜胆



伊作に手伝ってくれと頼まれ、薬草を摘みに山へ出かけた。
特に何も無い休日だったし、たまには息抜きも必要かもしれないと思った。 近頃は心身ともにキツい演習が多すぎる。時期的に仕方の無いことだが。

葉が色付きはじめている山は、長かった夏の終わりを感じさせる。
しかし時折、蝉が悪あがきのような鳴き声を響かせる。
久しぶりのらしい日差しに誘われたのだろうか。

ある程度目当ての薬草を採り終えた頃。
もう少し要るかなと伊作が呟き、俺の少し前に出て歩き出したときだった。あっ、と声を上げ、その先でしゃがみ込み、こちらを振り返る。

「この花知ってる?」

人差し指の先を覗き込む。
伊作の屈した膝に届くか届かないかまで伸びた草花。

「山に来るとよく見かけるな。しかし名前は知らない」

そう、見たことはある。膝元に咲く紫の花。
それまでは素通りも同然だった花に伊作の手が触れる。

「この花はリンドウって言ってね、この根も薬になるんだ。食欲不振に効く。今日みたいに晴れた日にしか花を開かないっていうのも特徴かなー」

伊作はこういう俺の知らないことをたくさん知っている。
保健委員ということもあり、さすがに薬草には詳しいのだが、俺のような普通の奴が知っている薬草の知識なんかよりもずっと深い知識を蓄えている。その植物の特性とか生息域とか採取の時期とか。
忍術の授業でよく頭を抱えている伊作だが、この分野に関しては本当に頭が下がる。

「花言葉もなかなか良いんだよ」

「へぇ、なんていうんだ?」

「正義感、的確、誠実…、」

指を折りながら答える。
結構堅い感じの言葉なんだな。

「僕の中でのイメージは、留三郎なんだよね」

「え?」

俺は伊作の中で堅いイメージ…なのか…。

「なんだろーなー、いつもキリッとしてて、芯が通ってて。あ、この花って群生しないんだ。花はいくつか付けるけど、一本でこんなにしっかり立ってるんだよ。その雰囲気がなんか似てるなぁってなんとなく思ってて、だからリンドウを見ると、いつも留三郎が浮かぶ」

「・・・・・・」

本人は自覚無し…なのだろうが、百歩譲って独り言だったとしても、こんなこと聞いて照れない奴などいないだろう。なんて返せばいいんだか。…ありがとう、か?

「あー、あ…」

言えるわけがない。ど、どうすればいい…。

「あっ、別に今言ったことは気にしないでいいから!僕が勝手に思ってるだけだから…」

はははっ、と眉をハの字にして照れた笑顔を見せる。
照れるなら最初から言わなければいいのに。

「まぁ、でも、」

林の中を風が通り抜けた。形の定まらない斑な影に包まれる。
俺たちの何倍もの高さの広葉樹の大群が一斉に波打つ。

「留三郎は、僕の憧れだから…」

その先端の葉たちは大きく揺れ、聞こえたはずの声を掻き消す。
伊作の口が何かを言ったのは確かだ。

「すまん、風でよく聞こえなかったんだが」

「いやっ、あの、あれ!留三郎は喧嘩っ早いのが難点かなーって」

「なっ!」

「だっていっつもさ、文次郎と言い争いを始めたと思ったら、最終的には取っ組み合いの喧嘩になってるし」

…言い返したいのは山々だったが、言い返せる部分がまったく無い。
握り締めた拳が空しい。自分がどんどん小さくなっていくのが分かる。

「…ははっ、冗談だよ冗談、そんなにへこまないで。長所と短所は紙一重だって仙蔵が言ってたよ」

「あいつの言うことを真に受けるなっ」

慰めなのかとどめなのか分からない発言に、俺はうなだれ、伊作はさらに笑う。
風は緩やかになり、葉の擦れるささやかな音はこの空間にいい色を付ける。
笑っていて喉がおかしくなったのか、伊作が歯痒そうに咳き込む。
しゃがみ込む姿を見て今度は俺が吹き出す。


こんな時間がずっと続けばいい。

今更もう遅い願望だ。
明日の今頃は、また血を見るようなことをしているかもしれない。
それが自分のであるか他人のであるかは分からない。
俺たちは流れる時間の中で、それに逆らうことなどできない。

「伊作、」

「ん、」

しかし、今という時間を大切に過ごしたいと思えば、それはできないことではない。
こうやって手を差し伸べれば、掴んでくれる奴が今ここにいる。
それも一年後には、このような温かいものではないのかもしれない。どちらかの手が冷たく動かないものであるかもしれない。

「ありがと。そろそろ帰ろっか」

「ああ」

時々こんな途方もない考えに浸ることがある。
本当に、途方もない。
答えはいつか自分で出さなければいけないものだとは重々承知している。
それでも。ただ今は、

「あー喉痒い」

「さすが不運男」

「留三郎に言われたくない」

「誰のせいだと思ってる!」

少なくとも俺を慕ってくれているこいつの中のイメージに相応しい人間で在りたいと、切に思う。
長い月日が経って、またリンドウを見かけたときには、あの頃の今を過ごしていた自分と、隣にいた人を懐かしく思い出していたい。

蝉の声は消え、辺りは夕焼け色、リンドウは花を閉じる。
明日も晴れれば、また開くのだろう。
明後日も。
明々後日も。
そのまた先も。