まもりたいひと



月明かりが塀の瓦屋根に反射している。それを上から見下ろす。
夜全体が明るさを持っており、か弱そうなススキは少しの風にも反応する。
善法寺先輩に団子を分けてもらったので、
せっかくだから月を見ながら食べようよ、という雷蔵の思いつきにより、今長屋の屋根の上にいる。

ふと、昔の映像が頭を過ぎる。
あ、と声を漏らしていた。

「あのときのこと思い出した」

「どのとき?」

「私が暑いから外で寝るって言って屋根に登ったら、雷蔵が追っかけてきて、登りきったと思ったら足滑らしてさ、あれ私が助けなかったらお前落ちてたぞ」

「あーそんなこともあったなー」

恥ずかしいな、と笑う雷蔵。

実を言うと、あの時助けるつもりなんてなかった。
そもそも誰かと一緒に寝るのが嫌で部屋から出たのに。
忍術学園に来て、何日か経った夜だった。
それまでは、こいつが眠ったのを見計らって外へ出て、木の上でじっとしていた。
眠った覚えなんてない。そんなことには慣れっこだった。
しかしあの夜、毎日君はどこに行ってるんだと問い詰められた。
まさか気付いていたとは思わず、気配は消していたはずなのに、と少し悔しくて、 振り切って屋根へ上った。
追いかけてまでは来ないだろうと高を括っていた。

そういえば、と雷蔵。

「あの頃はまだお面付けてたよねー」

懐かしそうに言って月を見上げる。私もそれにつられる。

こんなふうに笑って話す日がくるなんて、あの時は思いもしてなかった。
私は、ひとりだったから。

「雷蔵はホント変な子どもだったよ」

―"僕、君と友達になりたいんだ!"

「ちょっと、それ僕のセリフなんだけど」

少し睨まれる。

「ははっ、ごめんごめん」

しかしすぐいつもの笑顔に変わる。

あの言葉がどれほど嬉しかったかなんて、雷蔵は知らないだろ?
今でも不思議に思う。なぜ自分をこんなに慕ってくれる人がいるのか。

「団子おいしいねー」

「もうちょっと拝借してくるか」

「それはだめだって」

あの頃の自分なんて思い出したくもないけれど、
君に出会ってからの私は、少しは人間らしく在るだろうか。

月には兎が一羽見える。ずっと昔からひとりだったのだろうな。
私もずっとひとりでいいと思っていた。雷蔵に出会うまでは。

父上が今の私を見たら何と言うだろう。
愚かな、だろうか。

"隙を見せるな。つけ込まれる前に欺け"

父上の口癖だった。
忍として在る私には確かに必要なことだ。
しかし、私が私で在るために必要なことは、何も教えてくれなかった。


「あ、鈴虫の声だ。なんかいいな〜秋だな〜」

「和んでるとこ水をさすようだけど、明日も朝から演習テストって知ってた?」

「は!?うわー!すっかり忘れてた!予習しなきゃ!」

「頑張って〜」

「余裕って顔してるな!もー三郎性格悪いよ!」

「知ってる知ってる」

「あーもー!じゃあ、先部屋戻るよ」

「うん、すぐ行くから」

「はいよ〜」

スッと飛び降り、トタトタと足音を立て部屋へ入っていく。
もうあの頃みたいに落ちそうにはならないんだな。…当たり前のことか。何年前のことだと思ってる。

「・・・・・もう何年も、一緒にいるんだな」

雷蔵がいなかったら、今頃私はどうしていたのだろう。
学園を辞めると言って、勝手に父上の仕事に付いて行って…呆気なく死んでいたかもしれないな。
自分の死を想像するのには、大して恐怖を感じない。
しかし、大事な人が死に晒されると思うと、恐ろしくて仕方がない。

もしもの時に、この変装で身代わりになれれば、それは私の本望だ。

「三郎ー、ちょっとここ教えてほしいんだけど…」

下から弱々しい声が聞こえ、「仕方ないなー」と、溜息とは裏腹に口許は緩む。

だから、雷蔵だけは。
雷蔵だけは。