薬
「―あとはなるべく皮膚を引きつらせないようにね。無理に動かすと治りが遅くなるから」
「分かりました。夜分遅くにすみませんでした」
頭をぺこっと下げる下級生に「おやすみ」と言って見送る。
自室にある薬を不覚にも切らしていたので医務室までやってきた。別に必要はないのに同室の攣り目の男も一緒に付いて来ている。
手当てでほったらかしにしていたその男に尋ねた。
「何か用があったの?」
「別に」
機嫌は…まぁ普通か。長年近くにいるから読めるが、そうでない人にとってこの男は四六時中機嫌が悪いのだろう。心の中で可笑しくなった。
「切らした薬補充するからもう少し待ってて」
「ああ」
テキパキと作業をすすめる。いらないことを考えないように(ん?いらないことって何だ…?)、ひたすら手を動かす。
それでも無音なこの空間が少し窮屈になり、何か話題を振ろうと下を向いたまま視界の端で同居人の姿を捉える。
チラっと顔を上げると、彼は自らの掌をまじまじと見つめていた。
「手、どうかした?」
「いや、改めて見て、肉刺ばっかできてるなぁと思って」
「用具委員の宿命ってやつ?」
そうかもなと笑いを零す委員長。主要武器もあの鉄双節棍だし、肉刺ができるのは必至だ。
それに比べて、
「僕の手は…」
経験は積んできたはずなのに、忍の世界においてどこか世間知らずなような印象を与える手。
それぞれの関節は自己主張せず、指の流れの一部でしかない。生命線なんて途中で途切れてしまっている。別に手相に根拠なんて無いも同然なのだが、自分の不運さの底が知れない。
「…ははっ、なんか弱々しいな」
こんな手で、誰かを守ることなどできるのだろうか。
「そうか?俺は好きだけどな、伊作の手」
なんの躊躇いもなく、当たり前のように言うものだから。
みっともない顔しかできなかった。言葉が出なかった。「何でも治癒させてしまえそうな手だ」と追い討ちをかけるような台詞には、やっとの思いで「へぇ」と間抜けた声だが反応することができた。変に思われただろうか。一人勝手に舞い上がってしまっただろうか。
「さーて戻るか。明日も早いぞ」
「う、ん」
差し出された手に戸惑いながらも普段の己を装う。しかし裏腹に手は触れ合った感触ばかりを覚えようとしている。なかなか思うように振舞えない自分に少々腹が立った。この感情のせいだろうか。
知らないでおくつもりだった。
そう思う時点でもう気には留めていたということなのだが。
医務室の鍵を閉めながら、頬はただ熱かった。表に出してはいけないと分かっているのに。
曝け出された、今まで見ない振りをしてきた自身の欲望。
明かすなんて以ての外。抱え続けたほうがいいに決まってる。特にこの世界に生きる僕たちにとっては。
自己満足にしかならないこんな感情を持ってしまった自分は、やはり忍には向いていないのかもしれない。
「ちょっと冷えてきたな。茶でも飲んでから寝るか」
うっすら冷たい廊下を踏みしめる。夜も深い。
「そうだね」
それぞれの名前が入った湯呑みを思い出す。塗り薬の入った小壺を持つ手に力が入る。
前へ向き直った背中を見つめながら、この気持ちが治まる薬があればいいのに、なんて莫迦なことを考えていた。
|