14の昼




「よぉ。あれ?雷蔵は?」

「委員会の緊急召集らしい」

「未返却本の奪還作戦だってよ」

「…討ち入りか」

中在家先輩のあの微笑で迫られる学園長先生と潮江先輩の怯える顔が目に浮かぶ。委員会を総動員させるのは前科持ちのあの二人くらいだろう。
ご愁傷様、と心の中で呟きながら机の上に御盆を置き、椅子に腰を下ろす。同時に 昼時独特の騒がしいような穏やかな空気と食堂のにおいとが鼻を掠める。
箸を手に取り、両手をを合わせふと机の上を見遣ると、そこにあった光景に思わず目を細めてしまった。

「お前ら…やっと豆腐の良さが分ったのか」

既に食べ進められている二人の御盆の上には自分と同じ品目が並んでいる。言わずもがな、今日の定食(Bのほう)は豆腐定食なのである。

「勘違いすんなよA定食が売り切れたから勝手に切り替わったんだ調子に乗ってんじゃねーぞこの豆腐小僧」

喜びを噛みしめていると横から抑揚のない暴言と死んだ視線が飛んできた。
こいつの口の悪さ(というか性根の悪さ)には慣れているが、抑え役である雷蔵が居ないだけでそこはまるで無法地帯と化す。
しかしまぁ冗談だとは分かっているし、いつものように特に気に留めることもなく聞き流したのだが、斜め前の男はなぜか普段とどこか違う様子だった。
いつもならこの辺で一言、三郎に突っ込みを入れるはずなのに、今日は何も言わずただ黙々と箸をすすめるだけ。二人が言い合いになって、ちょっとしてから俺が止めに入るっていう、この流れが今回は無いらしい。なんだか物足りない気分である。

「んー…、潮江先輩となると、作法委員もなんか仕掛けそうだな」

そんなこと関係ない、というような調子で三郎が話しかけてくる。こいつはきっと空気を読むのが、敢えて嫌なんだろうな。
とりあえず返答はする。

「なんでそこに作法が出てくるんだよ?」

「委員長の立花先輩のことだぞ、こういう正当な理由を付けれる機会に託けて日頃の鬱憤を晴らす気だ」

「…ついでにその弱みに付け込んで今度の予算会議で優位に立つ、とか言うのか?」

「さっすが兵助くん頭良いー。どっかの誰かさんとは違って」

「あぁ?何で俺のほう見んだよ!」

三郎のいかにもな揶揄に今度は素直に反応する八。それを見て安堵する自分を一瞬でも受け入れてしまったことに少し驚いた。
妙ににつっかえていたものが取れたところで、俺の思考は何となく別のものに向けられた。先ほどから話題に出ている作法委員長、立花先輩。ぼんやりとその姿を頭に浮かべる。火薬のことでよく話すなとか、確か頭も良いよなとか、どうでもいいことを、豆腐を口に運びながらただただ思いつくままに巡らせる。
あとは…そうだ、見たとき最初に目につくのが、やっぱり、

「あの髪の毛だよなー」

「「…は?」」

思わず脳内に浮かんでいた言葉が外に出てしまった。二人とも「ぽかん」を絵にしたような顔で見つめてくるので、どうでもいいことだったがとりあえず弁解することにした。

「いや、立花先輩を見て最初に目につくのはあの髪の毛だよなーって何となく考えてたら口に出ただけ」

「ああ、そっか?」

八が困ったような作った笑顔を向ける。別にしょうもないことだし大した反応は期待していなかったのだが、気遣いがあからさますぎて何とも言えない気分になる。

「まぁなー、学園のサラストランキング一位だしなー(俺の地毛のほうがもっとサラストだけど)。でもお前も癖っ毛じゃなかったら結構いけんじゃね?艶もあるし」

そう言って三郎は俺の背中に垂れていた髪を少し掬い指に絡める。俺が「そうかー?」と適当に返しながら正面に向き直ると、八の箸からご飯粒の塊が零れ落ちる瞬間がちょうど目に入った。時間が止まってしまったかのように、その面は俺の顔の少し横に視線を注ぎ、口を開けたまま動かない。

「…?八、ご飯落ちたぞ」

促すと、はっと我に返ったのか取り繕うようにおどけながら御盆に落ちた米粒を口に放り込む。そのとき横で三郎の微かに笑う声が聞こえたが、気に留めたのは一瞬だけで、俺は再び食事へと意識を戻した。 豆腐の水は先ほどよりも嵩を増してしまっていた。




昼からはひさびさに実習も委員会もなく、学園全体が穏やかな空気に包まれている気がした。しかしこのどこかでは本当に図書と作法の連携が繰り広げられているのかもしれない。…想像するだけで恐ろしい光景である。
三郎とは食堂で別れた。なんでも、雷蔵の助っ人をしに修羅場へ買って出るという。半分は本当だろうが、半分はそれをただ面白がって見たいだけなのだろう。本当に厄介な男である。
俺はというと、特にすることもなく食堂からの流れで八と一緒に縁側で寛いでいた。心地のいい気温に柔らかな日差し。木の葉を揺らす微かな風。こんなにのんびりできる午後は久し振りだと、後ろに手をつき広い空を眺める。
…しかし、実際はちっとも寛げるような空気ではなかったのだ。
先ほどから八は口を尖らせたまま鼻で息ばかり吐いている。考え事でもしているのだろうかと最初は流していたが、こちらをチラッと横目で見ては逸らすという動作を何度も繰り返しでやられると、さすがに口元は引き攣り、胸の辺りで何かが徐々に沸き上がってくるのは必至だった。

「…八、言いたいことがあるならはっきり言え」

「うぇっ!?な、なんだよ急に」

「急にじゃないだろ…さっきからお前俺のこと何度見してるつもりだ」

「なっ、気づいてたのかよ!」

「気づかないほうがおかしいだろ!」

頭の悪いやり取りに自分自身呆れながらも、こうなったら自棄だと己を奮い立たせ、八の目の中を刺すようにじっと見つめる。“目は口ほどに物を言う”の実践である。白状するまで離してやらない。

「………………」

「……………っ」

案外早く観念したようで、ばつが悪そうになぜか顔を赤くしながら目を逸らす八。よし、勝った。

「さー吐け」

「うっ…」

「ほら」

「……、じゃあ、」

「じゃあ?」

「どんなことでもちゃんと答えるって、誓えよ?」

「え?ああ…」

そんな誓いを立てるほどのことなのかと少々たじろいだものの、これだけ溜めて打ち明けることなのだからきっと大層な問題に違いないと、それなりの覚悟を持って八の口元に目と耳を集中させた。

「お前さ、なんでさっき三郎の横に座ったんだ?」

……はい?

「え、そんなこと?」

「どんなことでも答えるっつったろ!」

「っああ、そうだったな…」

八の意図していることがまったく分らなかったが、こちらも誓いのようなものは立ててしまったし、疑問に思う頭を一旦休ませ、とりあえずその問いに純粋に答えることにした。

「いや、別に三郎の横っていうか、ただ手前の席だったから座っただけだけど」

「…ほんと?」

「なんでそんなことで嘘つくんだよ」

「あとさ、立花先輩の話のとき、三郎が、お前の髪触ってたじゃん?」

「ああ」

「お前あれ、嫌とかじゃ、なかったん?」

「なんで」

「だってさ、俺が触ろうとするとお前、なんやかんやでいっつも逃げるだろ?」

「っ、それ…は、…」

思わず言葉が詰まった。
そんな理由は嫌なほどに自分が一番よく知っているのだ。

「…一応俺らさ、あの、恋仲…なわけじゃん?なんてーか、それなのに、あの、だから…っあああ俺は何を言ってんだ!?」

さっきまで胡坐をかいていた足はいつの間にか揃って折り曲げられ、そこに顔を埋め両手で頭を掻き回している。赤くなった耳を見てやっと状況を把握した。
…えーと?これは、その、もしかしなくとも…
…嫉妬?

「……………」

呆れかえるとばかり思っていた俺の脳内は、少しの驚きと恥ずかしながらも高揚する嬉々とした感情で埋め尽くされていた。しかしそれを八の前で出すのは何となく癪だったので、緩みそうになる頬を引き締めあくまでも平然を装った。

「…ガキ?お前」

「っせーな!嫌だったんだから仕方ねーだろ!」

するといきなり体当たりするような形で八がこちらに傾れ込んできた。軽い呻き声を上げつつ俺はなんとか体勢を保ったが、腰と下腹部を両腕に収められ、突然の事態と羞恥心で動揺を隠しきれない。しばらく反発の声を上げていると、八は俺の腰の辺りに顔を埋め、くぐもった声で言葉を紡ぎ始めた。

「…不安になんだよ時々。お前が…本当に俺のこと好いてくれてんのかな、とかさぁ…いろいろ」

掠れ気味の声に一瞬目を見張る。
八は感情を隠そうとしないから、いや、単に隠せないだけかもしれないが、心の底を飾ることもなく歪ますこともなくそのままにぶつけてくる。本当は触れて欲しいくせに、拒否して自分を隠すことしかできない俺とはまったくの正反対なのである。
こうなると、ガキはどっちだよと、誰かに突っ込まれてしまいそうだ。

「……、…八、一回しか言わないからちゃんと聞いとけよ」

「うん?」

「何とも思ってない奴に髪触られたってどうってことないんだよ。でもな、そうじゃない奴に触られると、…余裕がなくなるんだよ。自分に」

気づかれないように一つ深い呼吸をする。八ほどの直球でもないのだが、いざ言ってみるとやはり半端なく恥ずかしい。余韻が顔中を熱くしていくのが分かる。

「兵助…それって…?」

八は八でこっちの気も知らず、先ほどとは打って変わっての調子で俺のほうに期待を詰め込んだ声を投げかけてくる。その丸出し具合に余計に恥ずかしさが募る。顔は八から見えないように背けてはいたが、きっと真っ赤になった耳はばっちり見られてしまっているのだろう。逃げ出したい気持ちと、もういいやという諦めの気持ちとが頭をぐるぐる回っていた。

「一回しか言わないっつったろバカ八…!」

「…お前、素直じゃねぇなぁこのーっ!」

「なっ!お前ふざけん…わっ、ちょっ、やめろ!」

回された手に脇腹辺りを掻き回され、そのくすぐったさに身を捩じって抵抗するも、なかなか抜け出すことができない。昔からじゃれ合っているせいか、八は俺の弱い箇所を把握しているのだ。しかし当の本人は擽りが効かない体質なのでなんとも理不尽であることこの上ない。
ふと視界に入った八の顔からはもう先ほどの沈んだ色は消え去っていた。

「…何やってんのお前ら」
「なんか楽しそうだね…」
「「あ。」」

お天道様が柔く照らす昼下がり。
縁側に並ぶ四つの背中。時折その肩は弾み、辺りには笑い声が響く。
自分の横には親友二人と、特別な奴のいつもの笑顔。
交互に見やって、俺は再び後ろに手をつき薄青の空を見上げた。