知らない土地。知らない人。
周りを囲む建物は、地元のそれよりも少し背が高い。
引っ越しの段ボールが片付かないまま、俺は徒歩5分の駅へと走った。
ココアとコーヒー
「私たちとテニスやりませんかーっ?」
「登山サークルでーす!私たちと色んな山を登ってみませんかー?」
「映画研究会です!映画好きの方はお気軽にどうぞー!」
ひっきりなしに聞こえてくる勧誘の声。どこも新入生を確保しようと必死だ。
入学式でも思ったことだが、俺の中の大学というイメージが徐々に崩されていく気がする。
懸命に勉強をして入り、そうやって頭脳が高まった後のこのお祭り騒ぎだ。
堅すぎるイメージを持っていた自分にも否はあるのかもしれないが、正直気分が乗り切ることはなかった。
「なぁ久々知、俺らサッカーんとこ行こうと思うんだけど、お前も来ないか?」
「あー…、俺ちょっと気になったとこあるからそっち行くわ」
「そっか?じゃあまたなー」
「おー」
出席番号の近かった数人のクラスメイトと別れる。
気になったところなど、別にない。
スポーツらしいスポーツの名前に何となく気が退けたのだ。
とりあえずこの賑やかな空気から遠ざかりたくて、人気のなさそうな自販機コーナーへ向かった。
案の定、そこに人影はなく、風に流れて賑やかな声は微かに漂ってくるものの、
棟の片隅の渡り廊下、少し地下になっているこの場所は、向こうに比べれば静寂そのものだった。
「ふー…」
一口飲んだ途端、素直なため息が出る。
鼻の奥まで満ちるコーヒーの香りと、手のひらから伝わる、カップ越しの温かさと。
ああ、落ち着く。
昔から静かな場所は好きだ。
高校生の頃なんかは、学校の帰り道にちょうど図書館があり、テスト前でなくとも幾度となく足を運んでいて。
それをクラスメイトに目撃されたことから、ある時雑談のネタに上げられたことがあった。
その時はこの上なく珍しいものを見るような視線を受け、密かに世間(世間、は少し言い過ぎだろうか)とのギャップを感じたものだ。
図書館は息が詰まるから苦手だとか、ファミレスのほうが飲めるし食べれるし喋れるだとか、みんなの意見は否定的だった。
どちらが正解だ間違いだ、なんてことはないのだろうが、なんとなく少しムッとしてしまい、「静かなほうが、はかどるじゃん。勉強とか」と返すと、称えるような視線とともに「お前は真面目なんだな」と、しみじみ肩を叩かれて―。
そんなことを、気付けば思い出していた。
(…静かな場所が好きだったら真面目君になんのかよ)
何となく愚痴を零し、カップに口を付けながら前方の自販機を見つめる。
そこへ、パタパタと近付いてくるスニーカーの足音。
響いていたそれは次第に乾いた音へ変わり、自販機のある景色の中にその主は颯爽と姿を現した。
「っとー、どれにすっかなー」
「(独り言でか…)」
勝手にツッコミを入れながら、その後ろ姿を観察する。
自分より少し高いくらいの背丈だろうか。背中も広く、まさに“スポーツらしいスポーツ”をやっていそうな体格。もしかしたら先輩かもしれない。勧誘に疲れて休憩でもしにきたのだろう。
「―うおっ!」
あんまりまじまじ見るのもな、と視線をずらしたちょうどその時だった。
驚いたような声と、チャリン、という金属音とともに自分の足元に転がりつく10円玉。
「あっ、すいません!」
見上げると、そこには先ほどまで自販機の前にいた男の顔。
少しだけつり目な眼差しと、凛々しい眉毛が特徴的だった。
ああ、やっぱり体育会系だなと、根拠もなく納得してしまった。
「あー…、はい、これ」
「ありがとうございます!…ってブラックコーヒー!!」
「っ!?」
いきなりの大声に目を見開くと、その男は「大人っすね…」と、先ほどとは打って変わっての覇気をなくした声で呟き、こちらに背を向ける。
意味が分からず首を傾げていると、男は出来上がった飲み物を小窓の奥から取り出し、再びこちらへと振り返った。
それと同時に漂ってくる甘い匂い。出来たてで湯気の上がるホットココア。
「…俺、子供っぽいのしか飲めなくて」
恥ずかしそうに笑うその顔に、「そういうことか」と謎が解け、思わずつられて笑いを零してしまっていた。
「―あっ、その、笑ったのは別にそういうわけではなくて…」
「いやいやいいんすよ!笑ってもらったほうがむしろ気が楽です」
ツッコまれるのは慣れてますし、と再びおどける姿がおもしろくて、また少し笑ってしまった。
「―にしても、この寒い中ご苦労様です。勧誘とかすごい疲れるんじゃないですか?」
横に腰掛けながら当たり前のように言うものだから、俺はひどく間抜けな声を出してしまった。
「へ?俺、新入生ですけど?」
「えっ!!な、同い年!?」
「え!?あなたこそ先輩じゃなかったんですか?」
「えええまさか!!」
どうやらともに大きな勘違いをしていたようで。
体格が自分よりもいいから、ブラックコーヒーが飲めるから、なんて勝手な思い込みでこの数分間会話をしていたらしい。
いろんな糸が繋がった途端、俺たちはどちらからともなく声を上げて笑っていた。
「や、だってこないだまで高校生だった奴がブラック飲めるとか普通思わないから!」
「こっちだって、そんなガタイで当たり前みたいにここに来た奴が同学年とは思わないし」
言い訳のようなものを言い合って、また笑って。
こいつがどこの誰かも分からないのに、いまこの瞬間が不思議と心地よかった。
「あっ、名前言ってなかったよな。俺は竹谷八左ヱ門。教育学部」
「っああ、俺は久々知兵助。法学部」
図ったように気になっていた話題になったもので再び目を見開いてしまった。
それにこいつの、竹谷の名前、はち…?はちえもん?…うまく聞き取れなかった。
「法学!あったまいいのなー!」
「別に…ていうか、竹谷の名前、はち…?」
「は・ち・ざ・え・も・ん。古臭い名前だよなー。小さいとき自分で自分の名前噛んでたもん」
その様子が容易に想像できてしまい、俺は小さく笑いを零した。
それに、古臭い、なんて愚痴っぽく言ってるけど、その表情は正反対に誇らしげで、それにもまた笑ってしまった。
「兵助、って名前も珍しいよな。なんかかっけーし」
「ひっくり返して『すけべい』とか呼ばれたことあるけどな」
「あっははは!!そらひでぇな!!」
過去の不名誉な呼び名はどうやら八左ヱ門のツボに大きく嵌ってしまったらしく、突っ込むタイミングを逃した俺は、いつの間にか一緒になって笑っていた。
しかし別の頭では、なぜ俺はこんな初対面の奴と楽しそうに喋っているのだろう、なんて冷静に考えを巡らせていた。
しかも、こんな笑い声まで上げて、こんな顔を綻ばせて。
先ほど感じた不思議な心地よさと、この懐かしさにも似た安心感。
当たり前だが知り合いなどではない。あんな珍しい名前、一度聞いたら嫌でも記憶に残るはずだ。顔だって知らないし、たった今、偶然ここで出会っただけ。
それでも、よく笑うこの男の性格や纏う空気を知っている気がした。分かった、というよりは、思い出した、という感じで。
(なんだ…?この感覚…)
なおも壊れたように笑い続けている八左ヱ門にふと目をやると、不透明な疑問に頭を悩ませていることがだんだんどうでもよくなってきて。
「おい、あんまり笑ってんなよ」
悪い悪い、と手を合わせる隣の男に一つ息を吐く俺の口は、やはり緩やかな弧を描いていた。
気まぐれで始まっちゃった転生現パロシリーズ
今回は竹くくの出会い編
気まぐれに書いていきます
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