余り物カレーパン




昨日駐輪場で出くわした女の人には見事に無視されちゃったけど、世の荒波になんて揉まれてたまるもんか。きっとあの人には僕の声が聞こえてなかっただけなんだ。うん、きっとそう。
そんなふうに言い聞かせて、気づけばそろそろ家を出る時間。
大学までは自転車で5分と徒歩でちょっと。
郊外だから家賃は安いし距離も近いからこのアパートで即決した。
ダンボールもぜんぶ片付いたし…おかげでゴミ捨て場はダンボールの束でいっぱいになってしまったけど――なんてことを考えているうちに階段を降り終わり、件のゴミ捨て場に差し掛かる。
するとそこには、両手にパンパンのゴミ袋をぶら下げた男の人が立っていて。
ここにゴミを捨てるのはここのアパートの人だけだ、と当たり前のことを考えてやめた瞬間、その人も僕の気配に気付いたらしく、こちらへぱっと振り返る。
少し驚いたような目に視線を合わせて、僕は息を吸い込んだ。

「あのっ、おはようございます!」

昨日の失敗もあって、少し上擦った声になってしまったかもしれないけど、この際気にしない。この距離だし聞こえているはずだ。…でもまた無視されたら、今度こそ立ち直れないかもしれない。
ぐるぐると目まぐるしく考えていたが、それはほんの一瞬のことだったらしく。

「あっ、おはようございます」

男の人は当たり前のように挨拶を返してくれた。その余裕のある雰囲気とくしゃっとした笑顔がとても眩しくて、嬉しさで胸の辺りがじわじわ温かくなっていく。
朝からさわやかな気持ちに満たされかみしめていたが、階段脇の家庭用掛け時計(住人の大半が学生ということで大家さんが掛けてくれた)をふと見やると、とんでもないところに針が差し掛かっていた。

「えええええ遅刻!!!」

おかしい!さっき家で見たときからもう5分も経ってる!そんなに呆けていたのか僕は!
ぐるりと身体をひる返して、急いで駐輪場へと走る。
あの人に何も言わずに去ってしまったと、最初の交差点を曲がったときに少し後悔した。






不思議なことに講義にはいつも通りの時間に間に合ったのだが、一番前の席しか空いてなかったあたり「やっぱり僕だな」なんて、肩を落としたのか安心したのかよく分からないため息が出た。


昼休みの講堂は賑やかな空気で満たされる。
食堂のスペース争奪戦だとか、外部販売のお弁当争奪戦だとか。そういう雰囲気は別に嫌いではないけれど、その勝敗が目に見えすぎてどうも参加する気になれないのだ。

「(ふぅ…いただきます)」

いつもは学校近くのコンビニで行きしなに買っていくのに、…例の通り遅刻必至だと思って断念せざるを得なくなって。なんとか構内にある小さな売店で確保することはできたんだけど、誰も手を付けておらず変だなと感じたそれには、ただただ納得するしかなかった。

「(…これをどんなふうに扱ったらパンが割れて中身が出るんだよ…しかもカレーパン…)」

少しふにゃっとなったそれに齧りつく。
そんな残念な感じのカレーパンでも、食べ物は食べ物。ご飯一粒のお残しでも厳しく躾られる僕の家では、食べ物の風体くらいでつべこべ言うなど言語道断。何でもおいしく頂くことが食べ物への感謝なのだ。

「(うん、おいし)」

一緒に買った野菜ジュースのストローを勢いよく吸う。
ちょっとへこんだそれを脇に置いてベンチの背にもたれると、講堂と青空の気持ちの良いコントラストが視界に溢れた。

今日の例みたいに、昔からちょくちょく不運な目に遭ってしまう僕だけど、それを嫌だと思ったことはない。(厄介だと思うことはあるけれど。この違いは重要!)
小さい頃から、周りの人によく「どこか抜けてる」って言われるし、この不運はただの僕の不注意によるものなんだと、受け入れてしまえば懸念するほうが変だとまで思うようになった。簡単に言えば、開き直ったってことで。

のけぞりながら満たされつつあるお腹をさすったとき、ふと、地面から足が離れる。
あれ?と思った瞬間、自分の今の状況をすぐに悟った。
やばい…これは頭からごつーんといく感じじゃないか…?今日はついてないオンパレードだなぁ…
思考だけはやたらゆっくりで変な感覚で、頭部にくるだろう衝撃を意識した、そのときだった。

「―危ない!!」
「…へ?」

僕の身体は、足元に広がる薄い芝生の上ではなくて、なんというか、何かの力でちょっと空中に止まったあと、ダンッという音とともに元の位置に戻る。
よく分からないまま声のほうを振り向くと、

「「あ!!」」

今朝目にしたばかりの顔がそこにあった。







「まさか同じ大学だったなんてなー」
「しかも同じ歳なんて…僕てっきり社会人の方だと思ってたんですよ」

ひっくり返りかけたベンチに、今度は二つの背が並ぶ。
あたりには相変わらず昼休みのゆったりした空気が流れている。

「社会人ならとっくに出勤してる時間だって。…あ、だからその、敬語やめねえ?」
「あ、うん。そうだね」

それでも、彼は僕が纏うにはまだまだ早いと感じてしまうような、そんな雰囲気を漂わせていて。こういうのを「包容力」、というのだろうか。
純粋に、うらやましい、と思う。

「学部どこ?俺は教育なんだけど」
「僕は薬学。じゃあ本館のほうなんだ?いいなぁ」

この大学は少し特殊で、どういうわけか敷地のど真ん中に公道が通っており、そこを境に本館、別館と分かれている。僕のいる薬学部が別館、食堂や売店が充実してるこっちが本館と呼ばれている。語学の講義でこちらに来れるときには、やっぱりいろいろ便利だなと思ってしまう。別館も静かで好きなんだけど。

「へぇ〜。俺別館ってまだ行ったことないんだよな」
「んー、特別来るところでもないと思うけど」

この人が教育学部だということに、なんだか深く納得してしまった。
残りの野菜ジュースを飲み終えてひとつため息をつく。

「あ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、君はあのアパートに住んで長い?」
「え、ああ、1年んときから住んでるけど」
「階段のとこに掛かってるあの時計ってさ、時間合ってる?」
「いや、5分早めてあるぜ。大家さんの方針らしい」
「…あはは、どおりで」

今朝の謎が解けたところでまたひとつため息が漏れた。
自宅の時計は買ったばっかだったし、そんなに早く狂うのもおかしいと、講義中も地味にぐるぐる考えていたのだった。
腕時計だってちゃんと合って…

「あああーっ!!」
「うわっ!?」

次の講義が予習必須なの忘れてた…!
隣で驚く声が聞こえながらも、夢中で鞄を肩に掛け、ゴミをまとめる。
別館までは約5分。そこから教室にたどり着くまではまた数分かかる。

「ごめんなさい!ちょっと先に行くよ!あっ、今日は本当にいろいろありがとう…!」

お辞儀をしたその流れのまま走り出す。昼休みの空気に逆らう勢いの僕に他の学生たちが何事かと振り向くけど、今はそんなの気にしていられない。
ああ、なんで僕はこんなに忙しないんだろう。
そんなことを思いながら、構内を出て案の定、信号に引っかかる。

そして、過ぎていく車を見送りながらふと頭に浮かんだ考えに、僕は再び後悔することになった。


「あ、名前聞くの忘れてた…」















気まぐれ転生現パロ2つめは食伊で
しかし本当に書きたいこと書いてるだけだこれ…
次は誰を出そうかなー