私が生まれながらにして知っていたその物語には、なぜか自分と同じ名前の人物と、思いを馳せれば懐かしさで胸が溢れる名前の少年たちが登場するのだった。





無糖カフェオレ





この世で起こるすべてのことは科学的に説明できる。
当たり前の話だ。
幽霊だの未確認飛行物体だの、テレビで特番が組まれれば人々は何かと注目し、ああでもないこうでもないとオカルト論議を繰り広げる。
翌日、登校すればクラスメイトたちの会話は当然のようにそれらの話題で持ちきりだった。
なぜ彼らは、ただの視聴率稼ぎにわざわざ貢献してやっているのだろう。
子どもの頃、今思えば生意気極まりないがそんなことを考えたことがあった。
何より、自分は現実的な視点を持つ現実的な人間なのだと。
そう主張して、そう在りたかったのだ。



―懐かしい。
そう感じてしまう不思議な夢を見るようになったのは、いつからだったか。


『よーし出発だー!いけいけどんどーん!』

『…準備運動を忘れずに』

『学園長先生も唐突だな。栗を拾って来いだと?気が乗らん』

『まぁまぁ…』


夢とは、脳が記憶の整理を行っている際の、その断片を見るものだという。
だから、一貫性がなかったり、意味不明な内容であることが多いのだ。
そんな研究結果が世に出ているにもかかわらず、自分が頻繁に見る彼らの夢には、どこか繋がっているような、糸のようなものを感じる。
まだ十年もまともに生きていないというのに、懐かしいと感じてしまうこの心はどこからくるのだろう。
そうやって悩んでいるのは自分だけなのだと知ったとき、誰かに打ち明けて楽になろうという逃げ道は自ら絶つことに決めた。
言い訳は無意味なものでしかないと分かったのだ。


『くそ!負けておれんな!待てっ小平太ー!』

『―あれ?どうしたの留三郎?』

『…まだ朝の5時だろ…!それに、寒い…っ』

『みっともないぞ留三郎。低血圧の上に寒がりとは、よく今まで冬場死ななかったな』

『死ななくて悪かったな』


よりによってなぜ“自分”なのか。
この懐古にも似た感情は何なのか。
それは、理論的な思考ではない、もっと簡単な…。
そう、あのオカルト番組で言っているような、非現実的な立証によって容易に解決できるのだと。
開き直ったのは、いつのことだったか―。




昼時で賑わう食堂の一角。
ガラス窓の向こうではちらほらと雪が舞う。
試験期間に入れば、ここも外の景色のように寒々しくなっていくのだろうか、なんてどうでもいいことを考える。
箸を置き、今一度食器を見渡す。食べ残しはない。
ごちそうさま、と手を合わせ心の中で呟いたあと。キュキュッと軽く音を立てて開けるのは、少し光沢のある、色はワインレッドのステンレス製マグ。
自家製の無糖カフェオレを口に含んで、ようやく食事の終了を身体が実感する。
ひとつ息をつき、遠くの壁掛け時計に目をやった。

「―長次、私は準備があるので先に行くぞ」

マグを鞄に放り込み、空になった食器たちの乗るトレーを持ち上げる。
目の前に座る物静かなその男は、やはり無言でひとつ頷くと、再び味噌汁の茶碗を丁寧な動作で口元へ運んだ。

この世の中で起きるすべてのことは科学的に説明できる。
しかし、過去の自分のことを「覚えていた」友人に巡り会ってしまったこの事実は、紛れもなく現実の出来事だったのだ。
その主の紙袋の中に見えるたくさんの書物に、相変わらずだなと思わず笑みをこぼしながら、私は賑わう食堂を後にした。















気まぐれ転生現パロ3つめは仙蔵とちょっと長次
この二人は記憶ある組です 他にもある人は出す…予定
会話は昔出した本から引っ張ってきました^^