※冒頭部分
夏を目前に控えた夜は何とも言えない重さを帯びている。基本的に風通しのよい長屋でさえ、風自体が止んでいればそこはただの蒸された空間でしかないし、雨が降ってくれたとしても、熱された地面を打ちつけたあとの余熱が、空気を伝ってこちらへ漂ってくるだけだ。
そんな逃げ場のない夜に、今は、というか最近は部屋に一人。
「……暑いなぁ」
深く息を吸うと、年月を重ねた木材の匂いとそれに染み込んだ薬の匂いとが鼻の奥に突っかかる。これに文句をつける同居人はこのところ学園に戻っていない。もし戻っていたとしても、僕の前にわざわざ現れることはないだろう。
原因は、ただのつまらない諍いだった。さすがに学園生活を最終学年まで共に過ごしてきた存在だ、彼が考えていることは想像ができるし、向こうもきっと僕の考えることはだいたい分かっているものだとばかり思っていた。
昔から周囲に「仲が良い」と評される僕たちだが、当然のこと、喧嘩や言い合いは勿論するわけで。先日のそれも、もう少し前に起こったのなら、事の成り行きはまた違うものになっていたに違いない。よりによって大きな実習の前にこんな厄介なことになるなんて。自分の不運さがつくづく嫌になる。
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